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王国のクーデター
 

王国のクーデター

 尚泰久(しょう・たいきゅう)亡きあと、第7代王に即位したのは三男尚徳(しょう・とく)でした。1461年に王位についた時尚徳は20歳、危機を乗り切った王国の再出発にふさわしく若々しい王の誕生でした。尚巴志(しょう・はし)以来の長期政権も期待され、王統の繁栄はこの先も続くと思われました。実際、尚徳25歳の1466年には鬼界島遠征を行い、積極的に領土拡大を図っています。武闘派リーダーとして頭角をあらわした尚徳には何の障害も見当たりませんでした。
 一方、尚泰久のブレーンであった金丸(かなまる)は、尚泰久から御物城御銷側(おものぐすくおさすのそば)という要職(外交交渉、貿易などを司る長官)を授けられ、尚泰久亡きあと王に次ぐ最高権力者の地位に登りつめていました。尚徳の父尚泰久と同じ年代の金丸は、尚徳にとっては口うるさいご意見番だったようです。
 若く血気あふれる王と老練なナンバー2は、いつしか対立の溝を広げてゆきます。そしてそれが決定的となる小さな事件が起こります。
 当時から久高島(くだかじま)は神の島とされ、王自らが参拝するならわしとなっていました。鬼界島遠征から凱旋した尚徳が久高島を参拝した帰り、与那原(よなばる)の浜で休息を取るならわしを巡って尚徳と金丸が対立します。これをきっかけに金丸は1468年、首里を離れ西原の内間村に隠居してしまいます。これで誰もが金丸の時代は終わったと確信しました。
 ところが翌1469年不可解なことが起こります。尚徳が29歳の若さで突然病に倒れこの世を去ったのです。尚徳の突然の死は毒殺説が噂されています。もうひとつ言い伝えがあり、久高島で美しい娘と恋に落ちた尚徳は首里に戻らず、治世をおろそかにしたというものです。いずれにせよあまりよい噂はありません。
 尚徳の死を受けて首里では新しい王の即位の準備を進めていました。王宮内での後継者選びの過程で大事件は起こります。尚徳の子が王に即位することに異議を申し立てる者が出たのです。この者は尚徳の政治を批判し、金丸こそ王にふさわしいと主張しました。これに端を発して暴動が起こり、王の一族は殺されてしまいます。こうして七代(四世代)にわたる尚巴志の第一尚王統は滅びました。琉球統一から40年後のことでした。
 その後民衆に推されて金丸は王となり、第二尚王統が始まります。しかし、この事件には多くの疑問が残ります。若い尚徳の突然死や治世への批判、あまりにもあっけない第一尚王統の滅亡、隠居していたはずの金丸の返り咲きなど。歴史は敗者に厳しく、歴史を語るのは常に勝者です。このクーデターを企てた張本人は今なお謎に包まれたままです。