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護佐丸・阿麻和利
  の乱
  (ごさまる・あまわり)

護佐丸・阿麻和利の乱

 計らずも王位継承者となり首里にやってきた尚泰久(しょう・たいきゅう)は、早速首里城の再建にとりかかりました。財政を担当したのは尚泰久のブレーンである金丸(かなまる)でした。また、仏教の発展にも力を注ぎ、このころ万国津梁(ばんこくしんりょう)の鐘を作らせています。
 王国の再建に取り組む尚泰久の耳に、不穏な動きがあるとの情報が入ります。中城城(なかぐすくじょう)の城主護佐丸(ごさまる)が謀反を企てているというのです。情報をもたらしたのは勝連城主阿麻和利(あまわり)でした。これは琉球王国にとっても尚泰久にとっても大事件でした。
 というのも、護佐丸は父尚巴志が北山攻略の際に一軍を率いて共に戦った功労者であり、琉球王国の用心棒とも言うべき最高実力者だったのです。しかも座喜味城主であった護佐丸を、北部勢力の脅威から王国を守るためにわざわざ中城城に居城させたのは首里王府の意向でした。護佐丸は王府に忠誠を尽くす最も信頼できる忠臣の鏡だったのです。
 一方の阿麻和利は勝連城を拠点とする按司で、貿易によって勝連を繁栄させ日増しに勢力を伸ばしてきた首里王府が最も警戒する要注意人物です。実は護佐丸を防衛線である中城城に配置したのも、阿麻和利の脅威を意識してのことでした。その阿麻和利の情報を何故尚泰久が信じたのか?そこには複雑な事情がありました。
 度重なる政権交代によって首里王府の権力は次第に弱まり、地方按司への統率力は衰えてゆきました。そして、権力基盤の衰退は志魯・布里の乱で決定的となりました。その間に地方の按司は力を蓄え、ついには護佐丸や阿麻和利のように王府にとって無視できない存在にまで成長したのです。そこで首里王府はこれらの有力按司を抑えるために彼らと婚姻関係を結ぶことで解決を図りました。尚泰久の妻は護佐丸の娘であり、阿麻和利の妻は尚泰久の娘でした。つまり、尚泰久にとって護佐丸は義父、阿麻和利は娘婿になります。
 ですから、忠臣護佐丸は安心で阿麻和利は危険、という単純な構図ではなかったのです。首里王府にとってはどちらも勢力を拡大してきた警戒すべき相手だったのかもしれません。しかもこの情報を確かめるために遣わされた王府の密偵は、兵馬の訓練をする中城城の様子を目撃します。
 そして尚泰久は護佐丸を討伐する決断をします。王府軍を任されたのは誰あろう阿麻和利でした。阿麻和利は王府の大軍を率いて中城城に向かいました。謀反の疑いをかけられた護佐丸は真意を試されることになりました。はたして護佐丸は王府軍に立ち向かうことなく無抵抗で落城、一族と共に自刃しました。尚巴志と共に琉球統一を成し遂げ、最後まで首里王府に反旗を翻さなかった護佐丸は、今も忠臣として語り継がれています。
 王府の力を借りて見事宿敵護佐丸を亡き者にした阿麻和利の次のターゲットは首里でした。計画は阿麻和利の目論見どおり進んでいました。しかし、ここで一つの誤算が生まれます。もともと政略結婚で嫁いできた尚泰久の娘百度踏揚(ももとふみあがり)と付き人の大城賢雄(うふぐすくけんゆう)がこの策略に気付き、勝連城を抜け出したのです。行き先はもちろん父尚泰久のいる首里城です。
 これを知った阿麻和利は策略の発覚を悟り、急遽兵を率いて首里へと向かいます。一足先に首里に到着した百度踏揚たちの報告で王府はあわてて防衛の準備をし、阿麻和利軍に立ち向かいます。最初は防戦を強いられた王府軍でしたが、次第に劣勢を挽回しました。首里城を攻め落とすことをあきらめた阿麻和利は勝連城にもどり篭城します。
 首里王府は体制を立て直し、阿麻和利討伐軍を勝連城に向かわせます。軍を率いたのは大城賢雄でした。勝連城は勝連半島の根元に位置する小高い山の頂上にそびえる難攻不落の城でしたが、奇策を用いて大城賢雄が勝利し阿麻和利と勝連城は滅亡しました。1458年のことでした。
 こうして首里王府は琉球王国最大の危機を脱しました。王府を脅かす二大勢力を一気に排除することに成功したのです。これら一連の事件が偶然だったのか、あるいは首里王府の計略だったのか、その真相を知る者は誰もいません。