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首里城炎上
  (しゅりじょう)

首里城炎上

 琉球統一王朝を打ち立てた稀代の英雄尚巴志(しょう・はし)でしたが、統一から10年後の1439年、その生涯を閉じます。68歳でした。
 尚巴志亡きあと、尚王統第三代王に即位したのが初代今帰仁城監守を務めた尚巴志の次男尚忠(しょう・ちゅう)でした。しかし尚忠は在位わずか5年、53歳で亡くなります。次に尚忠の長男尚思達(しょう・したつ)が第四代王に即位しますが、不幸なことに尚思達も在位5年、41歳で亡くなります。尚思達には世継ぎがいなかったので、次の第五代王に尚巴志の五男尚金福(しょう・きんぷく)が即位します。しかし、驚いたことに尚金福も在位わずか4年、55歳で亡くなります。
 尚巴志後の王位は、不思議なことに三代続けてめまぐるしく変わりました。呪われたようなこの出来事は更なる悲劇を招きます。あまりの短期政権でその権力基盤が緩んできたのか、王権をめぐって骨肉の争いが始まります。第六代王の座を、尚金福の子である志魯(しろ)と尚巴志の六男布里(ふり)が争ったのです。布里は志魯の叔父にあたります。
 ここまでの3人の王位継承者を見てみると、尚巴志の子(尚忠)、孫(尚思達)、子(尚金福)となっています。それぞれの在位年数が短いために世代交代することなく二世代が交互に入れ替わっているのです。ですから尚巴志の孫である志魯と尚巴志の子である布里が王権を争うのは当然の結果だったのかもしれません。
 志魯と布里の勢力争いは次第にエスカレートし、ついには首里城内での戦いにまで発展します。この戦いで首里城は全焼し、志魯と布里双方が死んでしまいます。これが1453年に起こった志魯・布里の乱です。絶対的権力者である尚巴志を失った琉球王国は不幸な短期政権でゆらぎはじめ、ついには内部から崩壊し王国始まって以来の危機に瀕することになります。琉球統一から24年後のことでした。
 権力を握っていた二人の後継者を失った結果、第六代王には尚巴志の七男尚泰久(しょう・たいきゅう)が即位することになりました。当時尚泰久は越来(ごえく)城(現在の沖縄市)で暮らしており、ここは権力の第一線から外れた王族や按司の居城として使われていました。尚泰久もまさか七男である自分に王位が巡ってくるとは思っていなかったことでしょう。しかし、尚泰久の傍らには有能な参謀である金丸(かなまる)という人物がついていました。尚泰久は金丸とともに首里城に居を移すことになります。