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琉球王朝の誕生
  (りゅうきゅうおうちょう)

琉球王朝の誕生

 1416年に北山を攻め滅ぼした中山の尚巴志は、那覇港と本拠地である首里城周辺の整備を始めます。1427年、首里城の北側に壮大な人口庭園を造り、この地域を安国山(あんこくざん)と名付けました。今も存在する龍潭池(りゅうたんいけ)はこの時に造られたものです。1428年には中山門を建設、中国貿易も盛んで、このころ琉球王国の基礎が築かれてゆきました。
 磐石の態勢を整えた中山は、南山攻略にかかります。しかし、これだけの勢力を持ってもなお尚巴志は慎重でした。一気に南山を攻めることはなく、またしても計略を図ります。
 南山の本拠地は南山城(現在の糸満市)です。南山王が史実として登場するのは1380年の承察度(しょうさっと)からです(※中山王の察度とは異なります)。以降、承察度の後継である汪応祖(おうおうそ)、汪応祖を殺した達勃期(たぶち)を倒して即位した汪応祖の後継者他魯毎(たるみー)によって南山王は引き継がれます。いずれの王も中国貿易を盛んに行い勢力を拡大したようです。
 南山城の近くに水量豊かな嘉手志川(かでしがー)という泉があります。名城の近辺には必ず豊かな水源が存在しますが、川の少ないこの島にとって泉は何よりも貴重なものだったはずです。尚巴志はこの泉に目をつけました。尚巴志は自分が所有する金屏風と嘉手志川を交換しようと他魯毎に持ちかけます。金屏風を気に入った他魯毎はこの申し出を受けます。他魯毎も動かせない泉がとられるわけがないとタカをくくっていたのかもしれません。
 しかし、尚巴志の狙いは別にありました。嘉手志川近隣の人々がこの泉の水を使うことを禁止したのです。水を使えなくなった人々は大変困り、このばかげた取引をした他魯毎に不信感を募らせました。こうして他魯毎のまわりから家臣は少しずつ離れ、南山は統率力を失ってゆきます。
 このチャンスを待っていた尚巴志は満を持して南山を攻め、あっけなく南山城は落城しました。知将尚巴志の策略で、戦う前から勝負はついていたのです。
 こうして南山は滅亡し、ついに尚巴志の悲願である三山統一は成し遂げられ、ここに琉球統一王朝が誕生しました。一地方按司から身を興して三山すべてを滅ぼし、ついには琉球王朝を誕生させた尚巴志は、まさに琉球史上最大の英雄と言えるでしょう。