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世界遺産中城城跡 > 由来

中城城跡の由来

 広場を少し歩くと裏門の手前左側に、この史跡の由来が刻まれた石版があります。中城城跡が史跡として国の指定を受けたのが昭和47年5月15日、沖縄県教育委員会によってこの石板が作られたのが昭和53年3月31日とのことです。以下の内容が記されています。

 『この城の築城は、読谷山按司護佐丸(ごさまる)といわれています。城の構造は東北から西南にのびる連郭式に築かれた城で、三の丸、二の丸、本丸は、それぞれ堅牢優美な石塁で囲まれ、石の階段と門でそれぞれの郭に通じています。とくに三の丸の城壁のように外から見えるものは五角形の石を組み合わせ、またアーチ門の回りは特に大きな切石を用い、石塁の角が丸みを帯びているのも特徴があります。 城の規模は必ずしも大きいとはいえませんが、東南側は自然の絶壁をなし、西北側は10メートルほど低い位置で外郭の石塁が走り、城の経始には日本中世の城に似たものがあります。  中城城は、一部修理が施されていますが、当初の遺構をほとんどそのまま残し、その技法や構造において一層の完成度を示しています。しかもこの城こそが沖縄における中央集権の確立に主要な役割を果たし、中世的な戦乱の最後の築城であったことはきわめて注目すべきことです。』

 由来が記された石板から左手の岡を少し登ると、三の郭の城壁を間近で見ることができます。城壁中央は、緩やかな曲線を描きながらくぼんでいます。中城城を象徴する城壁の一つです。